かつまたかわらばん No.120「被災者の方に教えて頂いた事」
院長 勝俣 聡
「時には勇気をもって、歩んで来た道を否定してみる」
それが、自分の足元にある大切なものを気付かせてくれる。
5月27日(金)診療終了後、車を飛ばして、
宮城県亘理町にある亘理中学校で避難生活を送られている方々の
何かお役に立てればと伺いました。
この中学校は5月29日現在129名の方が、避難されていて、
亘理町全体で796名の方が避難所で不自由な生活を送られています。
亘理町全体で死者248名、行方不明者38名
沿岸部の荒浜地区は壊滅状態となっていました。
亘理中学校の避難所では、体育館の堅い床に薄いマットを敷き、
ダンボールで区切られた4~5畳程のスペースに荷物を含め、
一家が暮らしています。
プライベートはなく、人目を気にしながら生活していく大変さを、
こちらに着くまで、私は理解できていませんでした。
私がお手伝いした事は、体育館の片隅にポータブルベッドを広げ、
身体も心も疲弊している方のお話をお聞きし、
マッサージをしてあげる事だけでした。
小口さんというご夫婦で、
そば屋をやっていた方が私のベッドに来られました。
既に精一杯頑張っている方に軽々しい言葉は掛けられないと、
押し黙り、黙々とマッサージをしている私に、
小口さんの奥さんが、この様なお話をして下さいました。
荒浜で3月9日に生そば屋を開店し
一杯500円でお客さんに振舞っていた、二日後に
津波で全て流されてしまったと…
震災後は泣き暮らし、死んでしまった方が楽だったと…。
その話を聞いて、マッサージの手が止まってしまった私に、
また機会があれば、もう一度そば屋を始めたいと、
ここではどうしようもない事実だけがあるのだと。
なぜこの様な時に、礼儀正しく、粘り強く、
人に気をつかう事ができるのかと、
自分の幼さを思い恥ずかしくなりました。
このつたない文章を読んで頂いた患者さんにお考え頂きたいと思う。
募金でもいいし、あるいは、今は近づけないけれど、
やがて労働力が必要となる時に、その力をお願いしたい。
そして少しずつ復旧する過程で、東北の物産を選び、
後方から支援して頂きたいと、
時間が経つにつれ、援助の手は火急的になくなります。
自分が満たされなければ、他人に施せません。
私共は、平常通り健康でいなければなりません。
今回、人として、心からの言葉を聞かせて頂き、
貴重な体験をさせて頂きました。
避難所生活に疲れながらもなお、明るく振る舞い、
前向きに生きていこうとされている皆さんに逆にこちらが元気をもらい、
亘理町をあとにしました。